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私たちの挑戦

水宗園創業者の第一歩〜信州にねざして〜

静岡から出てきた1人の青年が信州安曇野の地でお茶屋としての一歩を踏み出します。
昭和34年、それは安曇野の小さな長屋からスタートしました。創業者で現会長八木宗夫です。長屋の2階に住まいを構え、1階はお茶を手で詰める工場にして1日200本〜300本をパートさんと詰め、それを50ccバイクに積み、安曇野、松本、大北地域に売りに出かけていました。ミゼットという当時流行の三輪車型の車の荷台に荷物を載せようやく車で販売が出来るようになったのが昭和38年ころです。
 
昭和45年に新社屋を完成させ、国道147号線にて本格的にお茶の販売をする会社を建設しました。ちょうど経済の発展著しい高度成長期の真っただ中に突入して行きます。
来る日も来る日も一生懸命お茶を詰め、車に乗って販売をし、時には追い返されても歯を食いしばって営業に回りました。スーパーマーケットが進出し、販路を拡大した水宗園は順調に規模を拡大し、長野県でのシェアを広げて行きます。当時はまだ小さな会社でしたが、現会長は『お茶は緑の水宗園、いい茶っちゃ』というCMを作り、テレビで放送しました。まさに男のロマンを感じる出来事です。やがて子供たちにもこのフレーズは口ずさむようになり、会社の認知度も少しずつ地域に根差すようになっていきました。昭和50年代、日本が元気に発展して行く頃です。

 

社長の伝承〜全国から世界への挑戦〜

大学を卒業後、静岡、宇都宮、東京で丁稚奉公を終え、現社長の八木は信州安曇野の地に戻りました。八木がその頃思ったこと。『このまま信州で商売をしているだけでは会社の発展はどこかで止まり、やがて衰退をして行く。いつか関東へ出て日本全国での展開をしたい。』それは茶の産地ではない信州からは無謀ともいえる考えでした。産地は関係なく、逆に産地でない特性を利用し、全国のいろんな産地のこだわりや特徴を持ったお茶をコーディネートしながら常にレベルの高いお茶を出し続けることで、徐々に関東圏での量販店、生協での販路を拡大して行きました。そして安曇野の地で、どこの茶産地にも無い固定概念を取り払った工場を作る決意をします。いまや全国のバイヤーが弊社の工場を訪れますが、工場の衛生管理においてはびっくりして帰られる方が多く見受けられます。美味しいもの、健康であり続けるためのお茶、より安全安心を追求し続け、お客様のリピートによって支えられる会社。それがほっとする空間をお客様に提供し続けようという会社のビジョンにつながっていきました。
 
今、水宗園のお茶は関東から東北、北海道にシェアを広げています。東京のど真ん中、港区の新橋に東京事務所を構え営業の本拠地を構えることも出来ました。そして平成24年からは海外への原料出荷も始まります。
まさに流汗悟道です。描いた夢を淡々とひたすらに突き進んで行けば夢は必ずかなう。
八木の想いは日々色あせることなく、さらにずっと強くなっていきます。
この志はずっと変わることなく続くのです。

株式会社水宗園本舗
〒399-8204
長野県安曇野市豊科高家2287−30
TEL.0263-72-2730
FAX.0263-72-8001


お茶の生産・卸販売


 
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